……赤い炎が、ちろちろとダンスを踊っていた。
 瞼の裏に焼きついた暖炉の炎が、途切れ途切れに意識に入り込んでくる。
 それは過去の記憶とつながり、何かを呼び覚ましそうになる。それが何なのか考えようとして、ゲドは短いうたた寝から目を醒ました。
 重たい瞼をこじ開けると、薄暗い天井がまず目に入った。次いで、無意識のうちに傍らに目をやる。
 そこにいる筈の、クイーンの姿が見えなかった。
 それを確認した瞬間、ゲドの意識は浅い夢から現実に引き戻された。
 情交の合間にもつれ込むようにして互いに寝台に倒れこみ、その後、戦闘の疲れも相まって眠り込んでしまったのだった。
 その時まで確かに腕の中にいた女の姿を求めて室内を見渡したゲドは、すぐにクイーンの姿を暖炉の前に見出した。
 先刻より小さくなった暖炉の火に薪をくべながら、その前にシーツに包まって座り込んでいる。
 ゲドは押し殺した息を吐き、こちらに背を向けているクイーンに気取られないように、用心深く身じろぎして女の姿を見つめた。
 いつ寝台を抜け出したのか、全く気付けなかった。
 いつもならば、クイーンはゲドを起こさずに寝台を抜け出し、夜が明ける前に自室に帰ってゆく。ゲドはその時には目を醒まして、クイーンと二言三言会話を交わしてから送り出すのが常だった。
 今夜に限って、クイーンはまだ帰る気配を見せていない。
 ゲドも、今夜だけはクイーンを帰す気にならなかった。
 室内の灯かりは消え、暖炉の赤い光りと、窓辺から伸びる月光の青白い光りが、部屋の中を照らし出していた。
 クイーンは静寂の中で、暖炉の炎に向かって座っている。白いシーツは体を覆いきらずに首筋から背中の中心までを露出していて、程よく引き締まったすらりとした肢体をゲドの目に示していた。
 くの字に曲線を描く背中のくぼみを目で追ううちに、また疼くものを感じて、我ながら呆れつつ、ゲドはそれを押し殺してクイーンに声を投げかけた。
「風邪を引くぞ」
 少し驚いたように背中が揺れ、クイーンがこちらを振り向いた。
「いつから起きてたんだい」
「たった今だ。……随分眠ってしまったようだな」
「ん、よく寝てたよ。疲れてたんだね」
「それは、お前も同じだろう」
 火の灯かりを頬の縁取りに受けて、クイーンは口の端で笑んだようだった。
「あんたほどじゃないよ、ゲド」
 そして、身を起こしたゲドの右手に視線を注ぐ。今は手袋をはめておらず、むき出しの手の甲に、それ自体が淡く発光して、紋章が息づいていた。
 クイーンの視線に気付き、ゲドも自分の手に視線を落とす。が、すぐに目を逸らして床に落ちた自分の服をとろうとして、クイーンに奪い取られてしまった。
「おい……」
「ダメだよ、ゲド。自分だけ服を着る気かい?どうしても欲しかったら、ここまで取りにおいで」
 クイーンは悪戯っぽく笑って、ゲドの服を己の手元に引き寄せてしまう。そのまま、再び暖炉に向かい合ってしまった。
 ゲドは吐息し、自分もシーツを腰に巻くと、そのまま寝台から降りてクイーンの傍に歩み寄り、隣に腰を下ろした。
 クイーンから服を取り返すことはせずに、そのまま共に暖炉の火を見つめる。
 クイーンが薪をくべると、小さな火花がいくつもはぜて冷たい大気を舞い、そのまま消えてゆく。
 先刻よりも大きくなった炎で暖を取りながら、ゲドはついさっきまでまどろみの中で見たものが何だったのか思い出そうとして、しばし沈思した。
 とうに過ぎ去った晩、やはりこうして火を見つめながら、仲間と話をしたことが、あった。
 ――それは、遠い昔の記憶だった。
 あの時、同じように不老の力を得ていた男達は去り、今はゲド一人だけがこの場に留まり続けている。
 いつでも、迷いを抱え続けたまま。
 漠然とそんなことを思い巡らせていると、急に女の冷えた指が伸びてきて、ゲドの首筋をつまんだ。その氷のような感触に思わず身を震わせ、ゲドはクイーンの手を掴んだ。
「驚いた?」
「……冷やしすぎだ。いい加減、服を着ろ」
 強い口調でゲドが諭しかけるのを聞かずに、クイーンはゲドの手をするりと振り解き、立ち上がって纏っていたシーツを床に落とすと、何も身につけない姿のまま、月光の差す窓辺へと歩いていった。
 均整の取れた女の肢体に、強い満月の光が降り注ぐ。
「月が綺麗だよ、ゲド」
「戻って火に当たれ。……外からも覗かれるぞ」
「ふふ…、あんたの部屋に、女の姿が見えちゃマズイのかい?」
「そういうことをいっているんじゃない」
「分かってるよ、言ってみただけさ」
 しかし、クイーンがゲドの傍に戻ってくる気配はなく、仕方なくゲドは立ち上がってクイーンの傍まで行き、己の体に巻いていたシーツで、自分ごとクイーンの体を巻いた。
 クイーンの体は冷気に晒され、冷えきっていた。ゲドはクイーンの体に廻した腕を強くして、体温が早くクイーンに移るようにしようとした。
 腕の中のクイーンがゲドを見上げて微笑み、首筋に口付けをした。
「ねえ、何を考えてたんだい?」
「……昔のことだ」
 ゲドは窓枠に肩をもたれかけさせて、空に浮かぶ月を目を細めて見つめた。
「同じグラスランドの晩に、最後の野営をして別れた仲間がいたことを…思い出していた」
「……寂しいのかい?」
 静かな口調で問われて、ゲドは軽く目を見開いた。
「ああ……、そうかもしれんな」
「あたしは、こうして傍にいるんだけどね」
 ほんの少し、憮然とした口調のクイーンを見下ろして、ゲドは腕に力を込めなおした。
「……そうだったな」
 徐々に、互いの体温で肌が温まって馴染み始めていた。
 今の自分には、体を温めあえる女がいる。
 ――それは、まだ長い生を歩いてゆく理由の一つになる筈だった。
「クイーン」
「うん?」
「……今夜は、部屋に帰るな」
 クイーンは驚いたように、目を瞬かせた。
「ここに、いてくれ」
 寂しい時も、そうでない時も。
 一語一語、噛み締めるように告げたゲドの言葉は、クイーンに受け入れられたようだった。
 クイーンは柔らかく笑むと、何も言わずにゲドの体を抱きしめ返した。
 ゲドの胸に顔を埋めると、男に向かって囁きかける。
「もう寝ようか、ゲド?明日も早いことだし」
「……ああ、そうだな」
 まだ、事後処理は山のように残っている。それを終えたら、彼らは古巣のカレリアへと久々に戻ることが出来るだろう。
 そのために、今夜は、
「もう、眠ろう」
 去っていった、かつての友の思い出を胸に抱いて。



・・・THE END・・・






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「熾火」